私たちのプロジェクトについて

三つの名前をもつ珍しい事業

「帰国事業」「帰還事業」「北送事業」みなさんはどの呼び名で耳にしたことがあるでしょうか?

在日コリアン93340名が北朝鮮へ渡ったこの事業は、三つの名称で呼ばれています。

 

1)「北朝鮮帰還事業」は当時、日本で国会やメディアなどが使用した呼称です。

2)「北朝鮮帰国事業」は、北朝鮮と朝鮮総連が使用した呼称です。

3 )「北送事業」は、韓国が使用した呼び名です。当時北朝鮮へ渡った在日コリアンの95%以上は現在の大韓民国の出身者でした。そのため「帰国」とか「帰還」という表現は実は正確ではなかったためです。

 

以上を踏まえ、私たちの団体では正式には「北朝鮮”北送・帰還・帰国”事業」と表記し、短く表記する際は「北送事業」としています。

北朝鮮”北送・帰還・帰国”事業とは

1950年〜1953年まで続いた朝鮮戦争によって多くの人が亡くなりました。北朝鮮の金日成主席は失われた労働力と技術者の穴埋めのため、在日コリアンに対して「帰国」を呼びかけました。理由はその他にも、社会主義の宣伝や、韓国に対する北朝鮮の優位性を国際社会に示すためなど、いくつかありました。

 

日本では北朝鮮の指示によって朝鮮総連が朝鮮学校などを通じて「北朝鮮は地上の楽園だ」と盛んに宣伝し、日本の全政党を含めマスメディアなど多くの協力と賛同で推進されました。1959年12月14日、第一次北送船の出航をもって北送事業は開始されました。以後、1984年まで25年間、断続的に行われ、北送船は187回出航しました。

 

実に93,340名もの人々が北朝鮮に渡りましたが、その人々は在日コリアンだけではありませんでした。日本人妻1800人やその他の家族など、日本国籍保持者約6,800人が含まれており、「3年後には日本に帰国できる」という偽りの約束を信じて北朝鮮に渡った方もいますが、その方々の安否は今もわかりません。

 

多くの脱北者の証言によれば、約10万人の北朝鮮に渡った在日北送者は社会の最下層に置かれ、政治的な弾圧と厳しい差別、極端な貧困などの生活苦に遭い、老若男女を問わず、命を奪われる人、精神障害を発症する人、自殺する人、政治犯収容所に入れられる人など、酷い人権侵害を受けました。

 

彼らは「日本に帰りたい」とどんなに願っても、北朝鮮から一歩も外に出ることができませんでしたし、このような人権侵害は今日の世代まで継続されています。

「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮へ向かう北送船
「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮へ向かう北送船

どうして北朝鮮へ渡ったのか?

 

当時、在日コリアンに対する差別は根強く、職を得ることの難しさや1952年に日本国籍を剥奪された方々など、多くが苦しい生活状況にありました。また北朝鮮の実情が分からない中で「地上の楽園」という虚偽の宣伝に希望を見出した人々は北朝鮮に渡りました。しかしそこは、生命、自由、人権が保証されない過酷な地でした。

「自ら望んで北朝鮮へ帰ったのだろう」という誤解

日本・韓国を含め国際社会では、北送事業で北朝鮮へ渡った人々は「自ら望んで帰ったのだろう」という見方が主流となっています。しかしそれは事実ではありません。

 

日本の司法は、川崎栄子を含む5名の在日脱北者が北送事業の人権被害に対する賠償を求めて起こした裁判で、この事業の違法性を客観的な事実に基づきはっきりと認定しました。(2023年10月30日、東京高裁判決)

 

北送事業は、本人の意思に反して(騙して)北朝鮮に連れていき、二度と出てこられなくしたという点で拉致と同様の人権問題であることが、日本の法律で認められたということになります。

 

国連の見解としても、2014年の国連COI北朝鮮人権侵害報告書では、北朝鮮による拉致と北送事業を共に「強制失踪」と呼び、重大な人権侵害と位置付けています。

 

だとすれば、北朝鮮に渡った93,340名のうち、少なくとも日本国籍保持者、約6,800名に対して日本政府は安否を確認し、あるいは帰国させる責任があるのではないでしょうか。また、人道的に見れば民族や国籍が違ったとしても、93,340名すべてに対して少なくても道義的な責任を負うべきだと考えます。

「ボトナム通り」とは

 

(地図:新潟市の新潟日報本社から中央埠頭に向かう県道が、通称「ボトナム通り」)

 

新潟市の「ボトナム通り」は1959年11月7日、第一次北送船が出発する1ヶ月ほど前に、北送事業の開始を記念して、当時の関係者が柳の木306本を植えて新潟県に寄贈した通りです。(ボトナムは朝鮮語で柳の木という意味)

 

93,340名もの犠牲にも関わらず、現在の「ボトナム通り」に建てられているプレートは、北送事業の結果を含む事実を正しく記していません。また現在、柳の木は80本に減少しています。

 


「ボトナム通り」リニューアルプロジェクト

 

私達はあらゆる人々がもっている人権の大切さを心に刻み、このような悲劇を二度と繰り返さないことを誓う「ボトナム通り」リニューアルプロジェクトを2019年から開始しました。当プロジェクトは、一日も早く、北送事業の事実を正しく説明するプレートを設置すると共に、「ボトナム通り」の柳の木を補植することで、「ボトナム通り」を北朝鮮による人権侵害を全世界に訴える通りとして位置付け直そうとするものです。

 

新潟は日本で起きた北朝鮮人権問題を語る上で特別な地域ですが、拉致と同様、北送事業を解決に向けて大きく取り上げていただくことで、新潟が普遍的な自由と人権を訴える代表的なシンボルの街になるのではないかと考えます。

 

現在、拉致被害に関する展示会などが各所で行われていますが、私たちは北送事業も含めた日本国内での北朝鮮人権問題全体に関する資料館やメモリアルパークなどの施設を建設することで、旅行者や修学旅行生など多くの人がいつでも訪れ、自由と人権の大切さを学ぶことができる場所になるようにと願い、最終的な目標として活動しております。

 

当面の目標である「ボトナム通り」への新プレートの設置や柳の補植には新潟行政の許可が必要ですが、その他にも講演による啓発活動や、どこの地域からでも市民の方々が参加しやすい取り組みも合わせて行っております。ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

「ボトナム通り」の由来を記したプレート。文字が消えて読めなくなっている。
「ボトナム通り」の由来を記したプレート。文字が消えて読めなくなっている。
柳が枯れ、廃れつつある「ボトナム通り」
柳が枯れ、廃れつつある「ボトナム通り」

プロジェクトの概要

1.啓蒙活動:北朝鮮”北送・帰還・帰国”事業および当プロジェクトの趣旨について広報し、多くの方々・団体様のご理解を頂き、支援者、顧問及びボランティアを募る。

 

2.調査・情報収集活動:1959年に「ボトナム通り」に柳の木が寄贈された当時の状況を調査し、柳の木の現況と合わせ、新たに植栽可能な場所を選定し、新潟市と周辺住民の方々のご理解を得る。

 

3.寄付金の募集:植栽可能な本数の柳の木の購入と植栽、記念プレート1基と「ボトナム通り」新標識1基の製作と設置にかかる費用のための寄付金を募る。

 

4.柳の植栽と新標識設置:「ボトナム通り」において、柳の木を植栽、記念プレートと「ボトナム通り」新標識の設置を行い、「ボトナム通り」リニューアル記念式典を行う

 

北朝鮮人権問題啓発行事in新潟

 

毎年12月13日・14日には北朝鮮人権問題を啓発するための行事を新潟市内で行い、市民の方々に拉致や北送事業など北朝鮮人権問題を知っていただくために活動しています。「新ボトナム会」は日本で起きている北朝鮮による人権侵害全ての解決を目指し、拉致問題や特定失踪者問題などに取り組む多くの団体と共に進めております。

毎年12月13日:北朝鮮人権問題フォーラム


毎年12月14日:北朝鮮”北送・帰還・帰国”事業◯◯周年 新潟港中央埠頭追慕式

       〜93340名を北朝鮮に送ったその場所で〜