日朝親善という美名のもとに「ボトナム通り」を見ながら北朝鮮に渡った人たちが、二度と「ボトナム通り」を見ることができないとは当時は考えもしませんでした。北送者は北朝鮮内で最下層身分として差別され、極貧生活を強いられ、強制収容所に送られ命を落とした人も多くいます。自由を剥奪され、人権が侵害された彼らの生活は北朝鮮によって封じ込められ、長年その存在すらも忘れられていました。命からがら脱北した人たちによって、彼らの悲惨な状況が明らかにされました。
今日も尚、北朝鮮では、北送者とその家族の人権は無視され、命の危険におびえながら生活しているばかりか、今日までも全ての北送者は離散家族のままなのです。北送者とその家族の生命と人権が一日も早く保障され、60年以上会えていない高齢になった離散家族と自由に再会し、広くこの惨劇を知らせ解決する活動が切望されています。
そのために、国連や国際社会とともに北朝鮮の人権と自由の保障を訴え、北朝鮮の人々を救済する市民運動の象徴としての新しい記念事業を始めてまいります。「北送事業・帰還事業・帰国事業」は1984年で終了し、現在、「ボトナム通り」の柳の木の多くは枯れてなくなっています。私たちは柳の木を植栽し直し、悲劇の発端となった「北送事業・帰還事業・帰国事業」を歴史的事実として記録し、人権の大切さを考え、人権尊重の精神を育む場所として「ボトナム通り」をリニューアルしていくことを目指します。
具体的には、1959年に「ボトナム通り」に柳の木が寄贈された当時の状況を調査し、柳の木の現況も踏まえ、新たに植栽可能な場所を選定します。
そして、新潟市と周辺住民の方々のご理解を得た上で、植栽可能な本数の柳の木を植えるとともに、記念プレートと「ボトナム通り」新標識を製作し、設置します。