「ボトナム通り」リニューアルプロジェクト 発足式を開催しました

12月13日、14日の2日間にわたり、新潟市で「ボトナム通り」リニューアルプロジェクト 発足式行事を開催しました。本行事は、新ボトナム会、NGOモドゥモイジャ、(一社)アクション・フォー・コリア・ユナイテッド、(一社)グローバル・ピース・ファウンデーション・ジャパン(以下、GPFジャパン) が共催し、ヒュー マン・ライツ・ウォッチ東京オフィス、北朝鮮帰還事業裁判原告弁護団、ワン・コリア・ファウンデーション(米国) の後援で行われました。

 

1959年12月14日に始まった北朝鮮”北送・帰還・帰国”事業により、在日コリアンとその家族約93,340人(日本人妻1,831人と日本国籍保持者6,839人を含む)が北朝鮮に渡りました。1959年11月7日に第一次船で北朝鮮へ渡った人々と協力者が日朝親善の記念としてボトナム(朝鮮語で「柳の木」の意味)306本を新潟県に寄贈して植栽した通りが通称「ボトナム通り」です。

 

 

 

在日コリアンたちは日本での差別や貧困を逃れようとして、「地上の楽園」という言葉を信じ北朝鮮に渡ったものの、北朝鮮では最下層身分として差別され、最低限の生命、自由、人権さえ保障されない過酷な生活が強いられました。

 

 

 

今日、日本においては、北朝鮮による拉致問題や日本政府の取り組みへの関心が高まる一方で、北朝鮮“北送・帰還・帰国”事業に関する記憶は薄まり、北へ渡った人々の存在が忘れ去られています。9万人を超える壮大な規模の事業の結果、甚大な悲劇をもたらした歴史的な事実は「ボトナム通り」に記されることはありませんでした。また、当初306本あった柳の木は約80本までに減ってしまいました。この事業がもたらした過酷な事実を見つめ直し、あらゆる人が生まれながらに持つ人権の大切さを心に刻む場として「ボトナム通り」を位置づけ直し、新しい意味の下で柳の木を補植していく「ボトナム通り」リニューアルプロジェクトを発足しました。

 

初日の13日には、「ボトナム通り」リニューアルプロジェクト発足式フォーラム ~北朝鮮“北送・帰還・帰国”事業に学ぶ人権の大切さ~ と題し、事業の説明と、プロジェクトの顧問や後援団体代表や国内外からプロジェクトに対する期待のメッセージが発表されました。

 

まず、本プロジェクト事務局を担当したGPFジャパン代表理事の後藤亜也氏より、プロジェクト概要について説明がありました。今回のプロジェクトの趣意文が読み上げられた後、当時県知事の北村知事らが植栽したことに触れられました。306本あった柳の木が約80本に減った現状に言及しながら、ボトナム通りに、この事業がもたらした悲劇的な結果については記されておらず、その事実を記した新しい記念プレートを新潟市に寄贈し設置する意向を述べました。

 

また、柳の木の寄贈についても触れ、新潟市がそれらの寄贈を受け入れるために市議会で検討していくことへの期待を述べました。そして、2014年の北朝鮮の人権に関する国連調査委員会の報告書内容が北送事業を北朝鮮による強制失踪としてみなしていることを指摘した上で、米国ニューヨーク市議会が北朝鮮国連代表部のある通りを「オットー・ワームビア通り」に改名する動きに触れ、「ボトナム通り」も重大な人権問題を記録し、人権の大切さを学ぶ場になることを主張しました。

 

次に、横田めぐみさんとの再会を誓う同級生の会の池田正樹さんよりメッセージがあり、これまで、めぐみさんの拉致をはじめとして拉致問題に関わってきたが、帰還事業で北朝鮮に行かれた方々の方が厳しい思いをされたことに言及しました。そして、めぐみさんが6年の時に広島から新潟に転校し、中学1年生の時にバトミントン部で同じだったころを回想しながら、44年が経ち、まだ帰って来れないめぐみさんのことを悼み、また、同級生たちは誕生日に再開を誓うチャリティコンサートをしていることにも触れ、北朝鮮の人権問題の一刻でも早い解決を訴えました。

池田正樹さんは横田めぐみさんを始めとする拉致問題の解決に取り組んできた
池田正樹さんは横田めぐみさんを始めとする拉致問題の解決に取り組んできた

続いて、北朝鮮に実際に渡った新ボトナム会代表の川崎栄子から基調講演がありました。

川崎代表は、「一昨年、北送事業60周年を開催した際に、ボトナム通りを見てまわった。その時、元々は並木だったこの通りが、並木とは全く言えない状況に胸が痛んだ。北朝鮮が地上の楽園であったのなら、こんなことにはなっていないだろう、と考え、立派な並木に再生させることによって、北朝鮮が自由と人権を侵害した拠点として、歴史の負の遺産としてクローズアップするべきだ」と述べました。

 

また、新潟を自由と人権の象徴として、希望の都市として作り上げたいと考えている意気込みを述べ、リニューアルするだけでなく、資料館を作りたい意向を強調しました。

 

自身が5人の子どもたちの親でもある川崎代表は、結婚を見届けた後、脱北。「約93,340人という人たちのなかで、生きて日本に帰って来れたのは3-40人と思う。実際に船に行って帰ってこれた人たちはそのくらいであり、韓国とも合わせて100人しか、自由の世界に帰って来れていない現実を考えると、日本に生きて帰って来れたものとして、何をしなければならないのか考え、今は、今日まで北朝鮮の人権問題を解決する運動に携わっている。ボトナム通りが見窄らしくなったのは、北朝鮮の現実に直面し、この通りに関心を持たなくなったからだと思う。そして、この事業のことを知っている人たちは、自分たちのことを負い目に感じているのではないか。そう言ったことはあってはならない」と語りました。

北朝鮮による人権問題への強い問題意識を表明する川崎代表
北朝鮮による人権問題への強い問題意識を表明する川崎代表

また、本プロジェクト実行委員であり、NGOモドゥモイジャ副代表の石川学氏より講演がありました。1958年に生まれ、1972年に兄と姉と共に北朝鮮にわたり、30年間を過ごしたのち、2001年に脱北をした経験を語りました。

「30年間北朝鮮で暮らす中で、北朝鮮を信じていた姉は、精神を病んでしまった。運良く日本に帰ってきた私は、川崎代表に引っ張られるようにして、モドゥモイジャに入会した。生き商人である我々がこの事実を伝えないと、誰も伝える人がいない、という言葉に打たれ、自分が何をするべきか考えるようになった。このプロジェクトの成功に当たって、現地の方々の協力が不可欠であるので、ぜひ協力してほしい」と強調してメッセージを締めくくりました。

石川氏は日本から北朝鮮へ渡り、再び日本へ戻ってきたことの意味の大きさを感じている
石川氏は日本から北朝鮮へ渡り、再び日本へ戻ってきたことの意味の大きさを感じている

来賓として挨拶をした、新潟県議会議員の渡辺惇夫議員は、「62年前に行われたこの事業について、知れば知るほど、納得できないことが出てきて、興味を持っており、今回、足を運んで話を聞かせていただいた。機関事業20周年の時の冊子を読んでいた時に、冊子の中の話と現実があまりに違うというのがが興味を持った理由」と語り、「川崎さんのように、死ぬ思いで苦労をして脱北した方々もいる。今回の事業を記念として、ボトナム通り、柳の木、後世の方々に機関事業の現実を知ってもらいたい」と強調しました。

また、「横田めぐみさんは中学校の後輩であり、そのことも北朝鮮の人権問題を解決する動機になっている」と述べました。

北送事業への思いを語る渡辺新潟県議会議員
北送事業への思いを語る渡辺新潟県議会議員

新潟県帰国協力会の小島晴則氏は、62年前、新潟県を埋め尽くした送迎の人々やマスコミを回想しながら、「歴史を思い浮かべるとなんとも言えない気持ちになる」と言いながら、「自分も北朝鮮を素晴らしい国だと信じていたし、素晴らしい側面しか報道されていなかった。ただ、現実が全く違う、ということが北朝鮮に渡った人たちの手紙で明らかになり、頭を殴られるような衝撃があった。この問題の一刻も早い解決を願う」と強調しました。

北送船が出港した当時をふり返る小島氏
北送船が出港した当時をふり返る小島氏

髙栁俊男法政大学教授は動画メッセージの中で、「これまで参加してきた日朝交流の取り組みの中には、上部だけのもので、却って逆効果ではないかと思うものがあった。本当の相手を思いやる交流が必要だ」と強調しました。

また、「川崎栄子さんの裁判にも証人として呼ばれたわけだが、朝鮮総連が主であるけれども、日本政府や他に関わった組織の責任も問うていきたい。その過程で問題が解決されることを望む」と述べました。

川崎代表の著書に影響を受けたと語る髙栁氏
川崎代表の著書に影響を受けたと語る髙栁氏

後援団体である北朝鮮帰還事業裁判弁護団弁護士の福田健治氏は、10月14日に東京地方裁判所で行われた、北朝鮮政府に対する帰国事業の責任を追求する裁判で、北朝鮮政府が初めて日本政府で被告として呼び出しがあったこと。法廷において5名が自らの人権を裁判官に対して語ったことに触れ、「帰還事業の本当の犠牲者、裁判所で”調書”という形で正式な記録となった。この道のりは決して平坦なものではなかった」と語りました。

また、北朝鮮政府による人権侵害を宣言することができるのは、唯一、日本の裁判所であることに触れ、日本の裁判所の役割の大きさを強調。最後に、この裁判は、判決のみが意味があるのではなく、法廷で言葉が語られ、記録されることが今後の資料としても非常に大きな意味がある、とその意義を強調しました。

日本の裁判所の役割の大きさを強調する福田弁護士
日本の裁判所の役割の大きさを強調する福田弁護士

元産経新聞政治部編集委員の佐伯浩明氏は、「私たちの一番大切なことは、北朝鮮に自由と人権を語らせることだ」と強調しました。「自由が基礎となって、その上に人権が成り立っている。今の中国やかつてのソ連を見てもそれを知ることができる」と自由の価値を強調しました。
「日本人妻や特定失踪者など、北に連れ去られたまま帰ってきていない人たちが多い。まだまだ政府の言及が少なく、北朝鮮を動かす力が小さい。北朝鮮社会の改革をするには、言論だけでは難しい。いろんな国も協力も含めて努力をする必要がある」と力強く語りました。

自由や人権といった基本的価値観の重要性を強調する佐伯氏
自由や人権といった基本的価値観の重要性を強調する佐伯氏

そして、ビデオメッセージとして、国連人権高等弁務官事務所ソウル事務所のカン・ユンジュ法務官、北朝鮮自由連合のスーザン・ショルティ代表、ヒューマン・ライツ・ウォッチ東京オフィスの土井香苗日本代表、白木敦士弁護士、北朝鮮戦略センターの姜 哲煥代表、米国ワンコリアファウンデーションの柳在豊会長、NGOモドゥモイジャ韓国のガン ボンス事務局長からも動画メッセージが届き、北朝鮮の人権侵害状況の改善と、北朝鮮の人権侵害の改善に向けて、本プロジェクト発足に対する祝辞が伝えられました。

1日目のプログラムを終え、登壇者や演者の皆様とともに
1日目のプログラムを終え、登壇者や演者の皆様とともに

行事2日目の14日は、第一次帰国船が出港して62周年目となる日で、新潟市の中央埠頭において北朝鮮”北送・帰還・帰国”事業62周年新潟追悼式を行いました。この事業によって失われた人々に対して追悼の辞が捧げられた後、参加者全員が黙祷と献花を捧げました。

参加者一人ひとりが北送船で北朝鮮に渡った方々に思いを馳せ、献花をした
参加者一人ひとりが北送船で北朝鮮に渡った方々に思いを馳せ、献花をした

献花の後に、川崎栄子代表が白い菊の花を海に投げ、北に渡った人たちの犠牲に思いをはせ、しばらく号泣する場面がありました。その姿は国内外のメディアによって報じられ、多くの人々の心を動かしました。

北に渡った方々の無念さを思い、号泣する川崎代表
北に渡った方々の無念さを思い、号泣する川崎代表

続いて、追悼の和太鼓演奏を千代園剛氏が演奏し、祝辞のあと、在日歌手の朴保氏が歌を熱唱しました。

千代園剛氏による魂のこもった追悼太鼓は、聞く人の心を揺さぶった
千代園剛氏による魂のこもった追悼太鼓は、聞く人の心を揺さぶった
在日歌手の朴保氏による追悼歌に参加者は涙した
在日歌手の朴保氏による追悼歌に参加者は涙した

実行委員長の李ソラ氏は閉会の辞で、寒空の中集まってくれた方々への感謝の意が述べながら、「62年前の今日は月曜日で、雨風が強い中、13時9分に975人を乗せて第一次船が出港した。それから北送事業の真相はどうだったか。北送事業については綺麗な言葉が述べられたが、その言葉が人の人生を台無しにすることもあることを私たちは教訓としなければならない」と強調しました。

そして、「北送事業の途中においても、この悲劇を止めることはできた。それをしなかったことが、横田めぐみさんを始めとする拉致問題の悲劇を生んだ」と悔しさを滲ませました。
また、「当時、306本の柳の木が寄贈されたが、私たちが今回、たった4本を植えるということだけでも本当に苦労したことを思うと、当時、柳の木がどれだけの思いを持って植えられたのか、推し量ることができる。今回のプロジェクトの意義は、単に柳の木を植えることが目的ではなく、この悲劇を記憶し、世界中の人たちと協力して、この通りをリニューアルしていければと思う」とその強い思いを述べました。
集ってくれた方々に協力を求める実行委員長の李ソラ氏
集ってくれた方々に協力を求める実行委員長の李ソラ氏
62年前に始まった北送・帰還・帰国事業で絶望の中で亡くなった人々への鎮魂のため、「ボトナム通り」リニューアルプロジェクト発足とそのプロジェクトの発展への決意が捧げられた追悼式となりました。

尚、行事の様子は以下のYoutubeチャンネルからご覧になることができます。
【メディア報道(一部のみ)】
2021年12月12日 新潟日報
2021年12月14日 新潟日報
2021年12月15日 新潟日報
2021年12月16日 毎日新聞
2021年12月19日 APニュース
2021年12月19日 ワシントンポスト
2021年12月20日 シアトル・タイムズ
2021年12月21日 マイアミ・ヘラルド