キム・イルソンによるとんでもない暴挙、朝鮮戦争(川崎栄子)

 

(YouTube「北朝鮮の極端的恐怖」2021年6月25日より)

みなさま、おはようございます。川崎栄子です。

 

今日は6月25日です。71年前の1950年6月25日に、朝鮮戦争が勃発しました。

■朝鮮戦争は韓国と国連軍が仕掛けた?

私は小学校・中学校を日本の学校に行っておりましたので、父と母のルーツである韓半島については、何も知らないで育ちました。その後、朝鮮総連系の高校へ行くことになって、初めて、文字を学び、言葉を学び、一部、歴史も学ぶことになりました。

 

その時、朝鮮総連系の学校では、「朝鮮戦争は韓国と国連軍によって仕掛けられた戦争だ」と、そういうふうに教えていました。だから私は「そうなんだ」と思っていました。

 

そして高校三年生の時に北朝鮮へ行きましたが、大学三年生くらいのころだったと思うのですが、その頃、北朝鮮は再び韓国へ攻め込もうという雰囲気を盛り上げていました。再び戦争を仕掛けて今度こそ本当に朝鮮半島全体を金日成が統治する、そういう雰囲気を作り上げていました。

■北朝鮮で一度だけ聞いた真実

そういう中で、大学では毎週一回、大学の先生たちが学生たちにセミナーをするのですが、ある日、私が教わっている数学の先生がスピーカーとして登壇されました。その方は北朝鮮でも有名な数学者でした。再び攻めていこうという雰囲気を作り上げるための講演だったのですが、その中でその方が、「朝鮮戦争は北朝鮮が攻め込んだ、北朝鮮が始めた戦争だ」という発言をしました。

 

その時、私はびっくりしました。「えっ!?そうだったんだ!」。そしてその発言によって、韓国が攻め込んだということに対する私のしっくりしなかった感情が、落ち着くところに落ち着いたというか、納得しました。「あ、これで辻褄があう」という風に、私自身が納得しました。

 

その後、再びそういう風に語られることはなく、また元の「韓国が仕掛けた」という政治宣伝に変わってしまいましたが、その時、一度だけは、本当のことを聞くことができた機会があって、私は数十年がたった今もその時のことを鮮明に覚えております。

■金日成による不意打ち

そしてこの金日成による無謀な戦争は本当に、同族、親兄弟が地で血を洗う凄惨な戦いを繰り広げることになりました。

 

ソ連の武力援助によって、タンク部隊を率いた北朝鮮軍は不意打ちをかけましたから、瞬く間に進撃して行きました。数日の間に韓国軍は一番南の端に追い詰められてしまいました。本当にそのままだと完全に飲み込まれる状況になったわけです。大人の方達はもしかしたら、「あ、もう李承晩軍はやられてしまうな」と思った方もいらっしゃったと思います。

■米軍と国連軍の参戦と中国義勇軍の参戦

でもそうはさせませんでした。マッカーサー元帥を先頭にするアメリカ軍と16カ国の国連軍が9月15日にソウルの近くの仁川に上陸作戦をして、上陸しました。そしてまず最初にソウルを奪還しました。

 

そして国連軍が仁川上陸を果たしたことによって、南の端まで行っていた北朝鮮軍が分断される状況になったわけです。そして北朝鮮軍が急遽、撤退することになります。

 

そして今度は韓国軍とアメリカ軍、国連軍が、北朝鮮軍を中朝国境まで攻めあげていって、追い詰めました。

 

その時に今度は、中国人民義勇軍が参戦することになりました。まさに、東西両陣営が朝鮮半島で激突する状況になったわけです。

■北朝鮮で語り継がれる長津湖畔戦闘

その時に、押し返してくる中国軍、北朝鮮軍と中国軍によってたくさんの犠牲者が出ましたが、私が北朝鮮に行って特に語られていたことは、長津(チャンジン)湖畔戦闘の話でした。

 

長津(チャンジン)湖という、野口財閥が作った人工湖がありましたが、それは1200メートルくらいの山に作られた、山脈のあるところなのです。そこでアメリカ軍が厳冬の零下四十度を超える寒さの中で食料の供給もちゃんと行われない中で、たくさんの犠牲者を出した、北朝鮮側としては大勝利を得たと教えていました。

 

その頃、その辺の人たちは、アメリカ軍のかぶっていた鉄兜で、それをキッチンで水を汲んだり沸かしたりする道具として利用し、アメリカ軍の落下傘の生地をつかって服を作って着たと自慢話を聞かされていました。

■おびただしい犠牲

その朝鮮戦争によって韓国軍の犠牲者は20万、アメリカ軍は14万、国連軍全体では36万人の方々がお亡くなりになったと言われています。そして北朝鮮側は、中国軍50万、北朝鮮軍29万の犠牲者が出たと言われております。

 

その中国義勇軍の中には毛沢東の息子であった毛岸英氏も含まれていましたが、その方が朝鮮戦争でなくなって、今も北朝鮮には毛岸英の墓があります。

 

民間人の死者は200万以上出たと言われております。朝鮮半島全体では400万から500万の人たちが犠牲になったと言われていますが、その中で北朝鮮が250万、韓国は130万人の犠牲者が出たと言われています。その犠牲者のうち、ほとんどは民間人でした。アメリカの爆撃というのはものすごかったですからね。

■空を埋め尽くすほどのB29

私もその時のことを覚えているのは何かというと、爆撃機は日本にある基地から飛びましたよね。その飛行機が一回飛んだら、空が真っ黒になる程、B29が飛びました。それが何のための飛行機かは、私は知らなかったわけです。

 

1942年生まれの私は、1953年でしたから10歳から11歳のころで、それがなんのことかわからずに、飛行機が空を埋め尽くすほどにごーっと飛び立ったら、毎日、それを数えていました。「1、2、3、4、5、6…」と数えましたが、数え切れませんよね。

 

そういうふうに本当に壮絶な爆撃が繰り返されて、北朝鮮では1211高地という山があって、その山の戦闘が有名なのですが、山の高さが1メートル低くなったと言われております。

 

戦争というのは一つも利益をもたらしません。

■戦争で失った人員の補充として北送事業が行われた

その朝鮮戦争で失われた人たちの補充として、金日成は在日朝鮮人に目をつけて北送事業というのを起こしましたし、93340人という人たちが北朝鮮に行って、本当に過酷な、壮絶な人生を送ることになってしまったわけです。

 

朝鮮戦争がどうして始まって、どういうふうな経過を辿ったのか、簡単にお話をさせていただきました。今日はこれくらいにしたいと思います。ご視聴、ありがとうございました。