12月13日、在日コリアン”北送・帰還・帰国”事業63周年フォーラムが開催され、一部では2022年3月23日の東京地方裁判所の判決と今後についてを中心に、講演やメッセージが語られました。
講演 山田文明氏 (北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 理事)
「在日コリアン“北送・帰還・帰国”事業」というのは、金日成と朝鮮総連によって行われた「在日コリアンを北朝鮮に送り出す事業」です。私どもはこれは法的にも責任を問うべき、極めて大規模な人権犯罪だと考え裁判を進めており、今回の裁判が三度目となりました。
今回はハードルを乗り越え、本来最も責任を問われるべき北朝鮮政府を被告として行うことができました。北朝鮮へ渡った人々の被害の実情から言って、その人々は北朝鮮政府による国家誘拐行為の被害者であり、この不法行為の損害賠償を求めました。
本年3月23日の東京地裁の判決は北朝鮮の不法行為を二つに分けました。まず「北朝鮮は”地上の楽園”であり、すべての生活が保証されて良い暮らしができる」というのは「虚偽の説明による勧誘行為」だとしました。次に、北朝鮮から出国して日本に戻ることができないようにしたのは「留置行為」であるとしました。
そして東京地裁は一つ目の「虚偽の説明による勧誘行為」については、北朝鮮に行く時点で勧誘は終わっており、もう何十年も経っているため時効であるとしました。二つ目の「留置行為」については、北朝鮮政府がその国内において、その国民に対して行った不法行為であり、これを不法行為と認めるとしても、日本では裁くことができない(管轄権外)としました。
このように訴えは認められなかったのですが、過去の二つの裁判とは全く違い、大きな前進点がありました。それは「時効だから扱わない」で終わりではなく、北朝鮮の不法行為をしっかりと吟味し、それに対して判断を下したということです。特に重要なのは、「虚偽の勧誘で北朝鮮へ渡る決断をさせたのは不法行為である」という事実が認められ、判決文に明記されたことです。これまで在日コリアン“北送・帰還・帰国”事業の問題は、拉致被害とは違って、「自ら望んで北送船に乗ったのだろう。だから自己責任ではないですか?」と言われることが多かったのですが、不法行為として認定されました。
今後、高等裁判所では、「騙して、連れて行って、閉じ込めた」という一連の国家誘拐行為として、主張を補強して説明をし、立証していきたいと考えています。また北へ行った人は北で裁判することなどできません。その人が脱北して訴えを起こす場合、「緊急管轄」として、裁判を起こす権利が何人に対しても保障されなければなりません。これは憲法で保障された権利です。高等裁判所ではこれらの点を指摘しながら、被害者たちを救済すべき対象として明確にしていきたいと考えております。
講演 川崎栄子氏 (新ボトナム会 代表)
一日も早く北朝鮮を終わらせて、2300万人の北朝鮮国民にも、自由と民主主義のようなすべての人々に与えられている権利が与えられるようにと思っています。なぜ北朝鮮の人々だけがその恩恵を受けられないのか、そういう矛盾を一日も早く解決したいと思ってやっています。
私は北朝鮮に14人の家族を残しています。今も私の胸の中では血の涙がポタポタと落ちています。2003年に脱北して以来、彼らと一度も会うことができませんでした。特にコロナ禍が始まってからは一切連絡がつかず、生きているのか死んでいるのかさえ確認できません。私が生きているうちに北朝鮮との決着をつけなければならないと思っています。
2004年に日本に入って18年になります。その間、北朝鮮を法律的に裁く方法を模索したり、一方ではこの北朝鮮の人権侵害を形あるものとして歴史に残すために「新ボトナム会」を組織し、現在は「ボトナム通り」リニューアルプロジェクトを展開しています。
「ボトナム通り」というのは、新潟でその意味が忘れられようとしています。第一次北送船が出る時に、船に乗る人達と、北送事業の協力者達と、朝鮮総連の人達とが集まって1959年11月7日に306本の柳の木を植えました。そして北送船に乗る人達は、二度と帰ることができませんでした。やがて柳の木は減ってしまい、現在は80本ほどになっています。
私はこれを見た時に、このまま廃れさせるのではなく、在日コリアン“北送・帰還・帰国”事業の証拠を歴史の中に形あるものとして残すために、これをリニューアルしようと計画を立てました。現在、新潟市と色々と交渉をしております。何度も新潟に足を運び、池田代表(横田めぐみさんとの再会を誓う同級生の会)のご尽力もいただき、随分前進しました。議会で取り上げられる段階までは進んでおります。私達は(議会を)通過するという希望を持って、来年4月に第一回目の植樹祭を計画しています。
またこのリニューアルプロジェクトは、拉致被害者の会の方々とも力を合わせてやっていきたいと考えております。COIの北朝鮮人権報告書では、拉致被害も完全な人権犯罪として扱われていますが、北送事業も同様に、壮大なスケールの拉致問題として規定しています。ですから拉致問題と北送事業を同じ一つの課題として協力しながら取り組みたいと考えております。
メッセージ 池田正樹氏 (横田めぐみさんとの再会を誓う同級生の会 代表)
私は横田めぐみさんと小中学校がずっと同じクラスで、バドミントン部でも一緒でした。めぐみさんは13歳の時に拉致され、北朝鮮で酷い人生を送っています。北送船の方々はもっと酷い仕打ちを北朝鮮で受けていると知っています。
横田めぐみさんは周りの友達を喜ばせ、それで自分も喜ぶというような優しい女の子でした。勉強も優秀で、バドミントンでも新潟市の強化選手に選ばれていました。
中学1年生の11月、帰宅途中の6時半ごろ、めぐみさんは北朝鮮によって拉致されました。私は同じバドミントン部で、その15分前まで、隣のコートのめぐみさんの姿を見ていましたが、それが私が見た最後の姿でした。
11月の寒い中、北朝鮮までは40時間もかかったそうです。船底に閉じ込められ「お父さん、お母さん、助けて!」と、爪は剥がれ、嘔吐物にまみれて、北朝鮮につく頃には屈強な工作員も目を背けるほどだったと聞いています。
拉致が公に判明したのは20年後の1997年です。拉致被害者の方々は家族会を結成し、ご両親は全国で1400回以上も講演をされました。ご両親と同級生で署名活動がスタートし、1600万名以上の署名が集まっていますが、まだ政府は動きません。
2002年10月に5名の拉致被害者の方々が羽田空港に帰国された際、横田滋さんが泣きながらそのご家族の写真を撮っていた姿を、私は忘れられません。
来月(2023年1月)、横田早紀江さんと一緒に拉致問題の担当大臣である松野大臣にお会いする予定ですが、泣いてでも訴えてこようと思っています。できることはすべてしたいと思っています。
8年前(2014年)のモンゴルで、めぐみさんのご両親は、めぐみさんの娘さんであるウンギョンさんと会いました。「恩京(ウンギョン)」と書くそうで、京都生まれの早紀江さんを思ってつけた名前ではないかと、「彼女がいなくなって初めて、めぐみちゃんの心が伝わったわ」と早紀江さんは泣いていました。
横田滋さんは2年前の6月にめぐみさんに会うことなく亡くなりました。早紀江さんには必ずめぐみさんと抱き合ってほしいと思っています。
拉致被害者の問題、北送事業の問題、これらの問題は本当に時間がありません。早急な解決を祈って止みません。