(YouTube「北朝鮮の極端的恐怖」2021年6月15日より)
■ 子ども心に「独裁者は絶対に許されない」
みなさん、こんにちは。
この前、入学式の話をしましたが、その時、言い忘れた話があります。
入学式が終わって教室へ入った時、先生が入って来られたのですが、後ろに一人の学生が、何かを持って一緒に入ってきました。
先生がそれを受け取って教室の正面に黒板の上に掲げたのですが、それは金日成の肖像でした。私は少なからずショックでした。
私は二次大戦に関する色々な本を読んだり、特には『アンネの日記』を読んで、ヒットラーがどれくらい酷いことをしたか、なんの罪もないユダヤの人たちを数百万人も、どれくらい迫害し虐殺したかについて考える時、「独裁者というのは絶対に許されないのだ」という気持ちを子供ながらに持っておりました。
だから、金日成の肖像を掲げた時、それを受け入れることができませんでした。でもそれを口に出して言えることではないことは納得していましたので、「無視しよう」と、自分の心の中で、そう思いました。
■ 「金日成将軍の歌」だけは歌わなかった
学校では愛国歌と金日成将軍の歌を教えてくれました。私は愛国歌は歌いました。でも、金日成将軍の歌は、絶対に歌いませんでした。
最近の朝鮮学校はどうなんでしょうかね?その頃の私のいた学校では、誰も私にその話をしませんでした。先生方も何もおっしゃいませんでしたし、学生たちも私に何も言いませんでした。
でも、そのことをしっかり記憶している人はいました。
■ 同窓生の一言に絶体絶命
私が北朝鮮へ行って就職した後、時々、平壌へ出張に行っていたのですが、平壌に出張にいくと、平壌にいる同窓生たちを訪ねるのが、お互いの楽しみでした。
あれは北朝鮮へ行って、20年以上、たった頃のことだと思うのですが、平壌へ出張に行って、同窓生の一人を尋ねることにしました。その同窓生は金日成総合大学を卒業した人でした。元々は2Kの家に住んでいたのですが、3LDKの大きな家に移ったという話を聞いて、訪ねてみることにしたのです。
そして行ったのですが、夏の暑い日だったので、マンションの下にむしろを敷いて、7、8人のご婦人が雑談をしていました。私の同窓生もそこにいました。私が近づいていって「出張にきたよ」という話をしました。
そうしたら私の同窓生がなんの前触れもなく急に、「この人ね、日本にいる時、金日成将軍の歌を、絶対に歌わなかったんだよ」と言いました。
私はびっくりしました。「あ、私の命はこれで終わった」そう思いました。
■ 「いつ逮捕されるか」という不安で夜も眠れず
私の同窓生はその一言だけを言って、それについては何も言わないで、普通の雑談に移りました。
私もそのことを私の方から言い出すような内容ではないので、一切、そのことには触れないで、普通に同窓生と話はしましたが、心の中ではガタガタでした。「あ、これで私の人生も終わったか…」。
もう、その訪問も早々に切り上げて帰って行きましたが、その後、家へ帰ってきてからも「いつ逮捕されるか」「いつ保衛部が私に『ちょっと来い』とくるか」「警察が逮捕状を持ってくるか」…本当にビクビクしていました。夜も眠れないくらい。
でも、2年くらい経っても、それに対して誰も一言も言ってくることがありませんでした。
■ たまたまスルーしてくれて命拾い
それはどうしてだったのか、私なりに考えてみました。
結局、その場に居合わせたご婦人方は、北朝鮮の24時間繰り返す政治宣伝に麻痺していたというか、ずっと政治宣伝をしますよね。北朝鮮では。だからそういう話に、もう麻痺をしていたというのか、注意を向けないというのか…。私の同窓生が親しい友達のことを言ったのですから、それが危険なことだと注意をしなかった。
そのうちの一人でも、「あ、これって大変な内容だ」と通報していれば、私は即逮捕されているし、即、殺されていると思います。
金日成の歌を歌わないなんて、反逆罪の中でも大反逆罪ですからね。
でも誰も通報しなかったということは、その方達がその話をスルーしてしまったわけです。通報するような内容だと注意を向けなかった。普通の雑談としてスルーしてしまってくれた。
おかげで私の命はこんにちまで繋がっております。
私はその同窓生がどういう目的でその話をしたのか、今日までわかりません。でもそのことは、本当に、北朝鮮にいて、命の危険にはたくさん晒されましたが、その中の大きな出来事として、私の記憶の中に今日まで鮮明に残っています。
今日はこれくらいにしたいと思います。
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