韓半島の戦争の間、在日コリアンは何をしていたか?(川崎栄子)

 

(YouTube「北朝鮮の極端的恐怖」2021年7月12日より)

皆様、こんにちは。

 

韓半島では、6月25日から7月27日の間は、どうしても、あのやるべきではなかった戦争ですよね。同族の血で血を洗う朝鮮戦争のことが、主に語られます。私も今日もまた、韓半島の戦争についてお話をしたいと思います。

■ 韓国系の民団と北朝鮮系のミンセン

韓半島が二つに分かれて、金日成の暴挙によって、1950年6月25日、午前4時をもって、38度線の全域に渡って韓国に攻め込んだことから始まった、3年間の戦争の間、それでは、在日コリアンたちはどうしていたのでしょうか?

 

まず、現在の民団の前身も、民団と呼ばれておりましたが、その民団組織では、義勇軍を送りました。644人の青年たちが、義勇軍として、戦線に参加致しました。そして、私の記憶では、そのうちで130名くらいの方がお亡くなりになったと聞いております。

 

じゃあ一方、北朝鮮を支持していた、朝鮮総連の前身である、民主統一戦線は何をしていたのでしょうか?ミンセンと呼ばれておりましたが、彼らは何をしたか?

■ 在日米軍の基地を竹槍で襲撃したミンセン

彼らは、朝鮮半島の戦争に参加するアメリカ軍は、みんな日本から行っている、飛行機も日本から飛び立っているし、軍隊も日本を経由して韓半島に派遣されて戦っている、そういう事を前提に、日本国内にある米軍基地を襲撃しました。

 

日本では、武器は持てませんよね。だから、どうしたか?竹やりを持って、各米軍基地を襲撃しました。そして、また、道路を走っている、ジープもそうですし、トラックもですよね。軍用トラックに、火炎瓶を投げつけて、道路で事故を起こす、そういう事をしました。

 

二次大戦で本当に、最後の最後までやられて、日本の人たちは、平和が戻ってきてほっとしている時期ですよね。45年にやっと戦争が終わって、少し落ち着いてきた50年ころ、そのころ、また国内で、在日コリアンたちが、大騒ぎを始めました。アメリカ軍基地を襲撃し、道路ではジープを攻撃し、トラックに火炎瓶を投げつけ、騒動を起こしました。

■ ミンセンが日本人の在日朝鮮人嫌いに拍車をかけた

それを、日本の人たちは快く思ったでしょうか?思えませんよね。これがまたどんな風に飛び火するんだろうと、どれくらい心配されたでしょう。日本の人たちの在日朝鮮人嫌いに本当にそのとき、もっと拍車をかけた、そういう事態になったわけですよね。

 

私の小さい頃の記憶ですが、そのことについて父と母が語り合っていたことが、記憶に残っています。私の父が、「本当に馬鹿な奴らだ。何をしているんだ。戦争がしたかったら、北朝鮮に味方したかったら、北朝鮮に行けばいいじゃないか。何故、日本で大騒ぎをしているんだ。日本で静かに暮らそうとしている人たちは、迷惑千万だ。」そういう話をしていました。

■ 私の病気で韓半島に帰れなかった事情

そうだからと言って、私の父や母が、自分たちの故郷である韓半島の戦争に心を痛めていないわけではありませんでした。特に二次大戦が終わって、一家がみんな、韓国へ帰ろうと準備をしていた時に、私が病気になりまして、一時残留することになったために、私の母の母方の祖母と、叔母二人、母の兄弟ですね、三人が先に韓半島へ帰りました。そして日本には、母方の祖父と私たち一家が残ったわけですよね。

 

そして、私の病気が治って、いざ、出発しましょうとなってみたら、その時にはもう、韓国と日本の間の船が切れてしまって、行くことができなかったわけです。そして日本に残留することになったのですが、韓半島に戦争が起こって、その韓半島へ戻った三人がその戦争の真っただ中に巻き込まれたわけですよね。

■ 朝鮮戦争に巻き込まれた私の親族

 

本当に、私の方は毎日そのことで心配をしておりましたが、戦争が始まってどれくらい経ってからかは分からないのですが、戦争が終わっていないころだったことは確かなのですが、韓国から一通の手紙が届きまして、その手紙によって、私の下の叔母が亡くなったと、知らせてきました。そのために、父も母も大泣きをしていた記憶が今も鮮明に残っております。そうやって、私の家族にも、その、韓半島での本国での戦争の影響はあったわけです。

■ 金日成はミンセンの印象を刷新するため朝鮮総連を組織

そして、その後、その戦争にそういう風に、日本で大騒ぎを起こしていた朝鮮総連の人たちはどうなったでしょう?最新武器で武装したアメリカ軍基地に竹やりを持った、まるっきり原始人の団体と同じですよね。竹やりを持った在日コリアンたちが襲撃をする。どうなりますか?逮捕以外にないでしょう。おびただしいミンセン系の人たちが逮捕されました。その人たちは実刑を言い渡されて長い間獄中生活を送ったと思います。

 

そのために結局、ミンセンという名前を変えなければならなかった。金日成が韓徳銖(ハン・ドクス)を呼びつけて朝鮮総連を組織するその根底には、そのミンセンの持つ印象を刷新しなければならなかったという、切実な必要性があったわけです。

 

そして、新しく、朝鮮総連というのを組織しながら、全然関係ない団体のように、日本にいる在日朝鮮人の生活と権利のために、そして北朝鮮の発展のために協力するという、夢の北朝鮮を宣伝する団体としての朝鮮総連を発足させたわけです。

 

 

だから、今の朝鮮総連もそうですし、その前身である統一民族戦線ですかね、ミンセンもそうですし、本当に韓半島の人たちのためには何にも役に立たなかった、悪い事ばかりしたっていうことです。でも今も居座っています。

■ 今も北朝鮮・独裁者を支持する朝鮮総連

10日は土曜日でしたので、私は毎月10日に行く朝鮮総連前の街宣を9日に行って、しばらく話をして帰ってきましたが、今もかたくなに北朝鮮支持、独裁者支持を続けています。それでよろしいのでしょうか、本当に。

 

間違ったことは、間違ったと認めて、人生に転換期が必要なのではないでしょうか?私はそう思っています。韓半島であった、さっきも言いましたように、起こるべきでなかった戦争の影響は、在日コリアンたちにも大きな影響を与えていたという事を今日はお話し致しました。

 

今日はこれくらいにさせていただきます。ご視聴ありがとうございました。