在日コリアン“北送・帰還・帰国”事業63周年 新潟港中央埠頭行事
12月14日(「在日コリアン”北送・帰還・帰国”事業 人権の日」)に行われる定例行事に併せ、今年は北朝鮮による拉致被害者の早期帰還のための祈りと決意のための行事も行われました。
一、在日コリアン“北送・帰還・帰国”事業63周年 新潟追悼式
■ 追悼の辞 川崎栄子氏 (新ボトナム会 代表)
1959年12月14日は、今日よりももっと寒い日でした。しかしその北送船は、”地上の楽園”ではなく、”地上の地獄”に人々を連れて行く、”地獄船”でした。私は北送船に乗って北朝鮮に渡り、43年間を暮らして44年目に戻ってきましたが、これは本当に奇跡的なことです。私は生きて戻ってきた人間として、やるべきことをやらなければ駄目だと思います。北朝鮮が自由の国になり、2300万の人々が他の国の人と同じように、自由で、人権のある、民主主義の暮らしができるようになるまで、頑張りたいと思います。
■ 追悼の辞 姜峰順(カン・ボンスン)氏 (NGOモドゥモイジャ 韓国事務局長)
1960年初頭、父は当時8歳の兄とともに日本を後にして”地上の楽園”という嘘の宣伝によって北送船に身を投じ、新潟港を出発しました。
私の幼い頃の記憶に、日本からの帰国者家族の不安な様子、それによって精神を病んで病院へ送られる姿、そして警察が入ってきて捜査する姿が残っています。自分で人生を選択できない悔しさから、自ら命を絶った人もいました。
日本から在日コリアン”北送・帰還・帰国”事業で来た方々が北朝鮮で地獄のような生活を送りながら、日本に帰りたいという思いを持っていることを知りました。しかし父の本音を決して外では言ってはいけないと、父が私に言い聞かせたのを覚えています。北朝鮮が”地上の地獄”であることを、誰が事前に分かったでしょうか。
七人家族の父として恥ずかしくない父になるために、父が昼も夜もなく働いた姿を思うと、胸が痛みます。
今日、ここ新潟港に到着し、胸の痛みを禁じえません。今日の荒波は北朝鮮に帰国した93,340名の怒りを表しています。嘘の宣伝により人生を間違って選択するしかなかったその方々に対する強制北送は、決して許されるものではありません。
父が悔しさと怒りを抱きながらこの世を去った今ですが、今日ほど、父が私の横にいてくれると感じたことはありません。
愛するお父さん、お母さん、お兄さん、ついに私が、あなたたちが懐かしがっていた新潟に帰ってきました。とても懐かしく、抱きしめたいです。
北朝鮮でお亡くなりになった在日同胞の皆様のご冥福をお祈りいたします。
二、横田めぐみさんはじめ、拉致被害者の早期帰還のための祈りと決意
■ 池田正樹氏 (横田めぐみさんとの再会を誓う同級生の会 代表)
めぐみさんは45年前の11月に拉致されてしまいました。そして在日コリアン”北送・帰還・帰国”事業は63年前から始まってしまいました。これは決して昔話ではなく、現在進行形の事件です。
北送された方々の3割は強制収容所に入れられ、地獄のような日々を送ったことを知っています。亡くなった方もいますし、高齢になられた方も多いです。
在日コリアン”北送・帰還・帰国”事業被害者の方々、特定失踪者の方々、横田めぐみさんをはじめ、1000名近い拉致被害者の方々を早く救わなければなりません。
全国に本当に思いを寄せてくださる方々がいらっしゃいます。そういう思いを集めて、政府の背中を強く押して、北朝鮮の人権問題を解決できるように、尽力させていただきたいと思います。
■ 山田文明氏 (北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 理事)
新潟や大阪で活動する中で、被害者のご家族の声を聞くことができました。「政府は何をやっているんだ。政府は動かないではないか。」その一方で、「政府の本気を信じます。日本を信じる、人々を信じます」という声もありました。
被害者の方々は、自分で自分の被害を訴え、加害者を告発することができません。また私達が必ず救うと決意を固めても、決意だけでは救えません。具体的な行動に結び付けない限り意味を成しません。
政府は決意だけでなく、事態を動かす具体的な行動として、どうするのかを説明するべきです。そういう決意で新しい運動を展開できるようにしていただきたいと思います。