絶対にやってはならないことをやった私(川崎栄子)

(YouTube「北朝鮮の極端的恐怖」2021年7月7日より)

 

皆様、こんばんは。脱北者の川崎栄子です。もう一度、選挙に関するお話をしたいと思います。東京都議会議員選挙では、野党が随分議席数を減らしたみたいで騒いでいますよね。でも、私は、自由民主主義の国家だからこそ、こういう事もあっても良いと思っております。都議会議員選挙をはじめ、日本での選挙に参加する度に、四十数年を北朝鮮の選挙に参加していた頃のことを思い出して、今でも身震いすることがあります。

■「会議が終わったら歌を歌ってほしい」

そんな中で、私は、絶対にやらかしてはならないような事をやらかしました。その一つは、金正日が政権を取って、数年経った頃のことだと思いますが、最高人民会議の選挙が実施されることになって、この前にもお話したように、立候補者の演説があるということで、夜、その演説を聞きに行くことになりました。その時、道(道というのは、日本でいえば、町会)の委員長さんから、私に、「会議が終わったら、終わりの歌を歌ってほしい」と言われました。

 

「え、私がですか?」と言いますと、「君、歌がうまいそうじゃないか。ぜひ、歌ってほしい。」これは、断れないんですよね。会議の終わりに、金正日の会議を終わる時の歌を歌えと言われて、断るということはできないわけです。だから、「はい。」と言いました。

■会議中に居眠りしたフリ。歌い出した歌は…。

でも、一度やるとその度に同じことが回ってきますよね。どうしたら二度と、私にそういう役割が回ってこないか、本当に深刻に考えました。そして、会議場に参加しました。そして私は、その会議を、昼間働いているときの疲れで居眠っているように、会議が始まってすぐあとから、居眠ったふりをしていました。でも本当は居眠っていませんでした。ドキドキしていました。

 

ずっと居眠りをしているふりをしていましたが、「これで今日の会議は終わります」という宣言があって、みんなが起立しました。いよいよ私が歌の先導をする瞬間が来たわけです。そのとき私は、会議が終わったときに歌う歌ではなくて、会議が始まる時に歌う金正日の歌を歌いだしました。

 

みんながびっくりして、こう、お互いに顔を見合わせて、歌を歌いだせないでいました。それを気が付かないふりをして、私はどんどん前に進みます。一小節以上歌った頃、他の人が慌てて、金正日の会議を終わる時に歌う歌を先導しました。そしてやっと、みんなが歌を歌って終わりました。

■金正日の時代だったから助かった

私は、道の党委員長のところに行って、「申し訳ありませんでした、本当に申し訳ありませんでした!昼間疲れていたのか、眠ってしまいまして、慌てて歌い出したまま、間違った歌を歌ってしまいました。申し訳ありませんでした。」平謝りに謝りました。

 

でも、道の委員長は、「わかった。まあ、仕方ないことだ。起こってしまったことなんだ。」と言ってくれました。これが、金正恩の時代なら、これは死刑ものですよね。ところが、まだ金正日の時代には、そういう間違いで政治犯収容所に送られるとか、死刑にされるということはありませんでしたが、今考えてもどきどきするような恐怖感が湧いてきます。

■選挙に関連してやらかしたもう一つのこと

私がやらかしたことがもうひとつあります。それは、選挙当日のことでした。私の住んでいたマンション、ですね。私は、脱北する前は日本の母から援助がありまして、2Kの家から3LDKの大きな家に移り住んでおりました。そのマンションというのが、この、市のはずれに車で行ったら私のマンションから車で行ったら2,3分くらいの距離ですかね、科学アカデミーがありました。科学アカデミーの分院というものがありました。

 

それは、化学をする科学アカデミーで、金日成は私たちが住んでいる道へ来るたびに、その院長を本当に大事に自分の車に乗せてこう、一緒に歩くほど尊重しておりました。

 

その日、選挙があったのですが、選挙は前にも言いましたように朝、もう、すぐに終わりますよね。でも、お祭り気分をそのまま維持しないとだめなので、アパートの前の、そのマンションと道路の間がだいぶ、距離がありまして、そこはちょっと広い面積が空いていました。

■パッとみたら金正日だった

そこへみんなが集まって、歌を歌ったり、踊ったりしていたのですが、私は正直言って、もう本当に選挙のたびにもう気分が悪くて、こんな選挙にいつまで参加しないとだめなんだろ、で、そういう気分ですから、そういう浮かれた気分にはなれなくて、道路のすぐ横に電柱があったのですが、電柱のところにもたれて立っていました。

 

そしたら、科学アカデミーの方から、一台の黒塗りの高級車がすうーっと近づいてきました。それも、こう道路の端に近づいて停めようというそんな感じで、近づいてきました。パッと見たら、金正日なんです。その科学アカデミーで金正日が選挙に参加したわけです。そして、金正日は車に乗るのが好きでしたから、護衛を出し抜いて、自分が先に車を乗って、市内に入ってきたわけです。

■とっさに金正日をスルー

そこに、選挙に参加していた人たちが、歌ったり踊ったりしているものですから、近づいてきたわけなんですよね。パッと目が合いましたが、私は素知らぬ顔をしました。すると、金正日が、すうーっと速度を落としていたのを、ハンドルをさっと切り替えてすっと通り過ぎていきました。本当にほっとしました。

 

自分がやらかしたことがどういう事だか、金正日を見て知らん顔をするというというのは、もう本当に反逆罪に値することなんですよね。ただ私は、金正日が車を停めて降りたらそのとき気が付いたふりをして、わーってこう、近づいて、皆様がやるような動作をしないとだめでしょう。こう、万歳を叫びながら、ね。そうすれば私は金正日の接見者になるわけです。

 

車を停めて、戸を開けたらそうしようとは思っていましたが、そこまでいかないで済んだわけです。本当に、どういう意味ですかね、命を懸けた無視、というか。それは、計画性のない急に起こったことでしたし、私が自分がやったことに対しても計画的にやったわけではありませんでしたが、すうーっと金正日が遠のいていった後、がくっときました。ああ、大変な瞬間だったと思いました。

■誰かに伝えられたら抹消されていたかも知れない

本当にそれが、他の人に伝えられるとか、そういう事になっていたら、私はもしかしたら北朝鮮で、その時にもう、抹消されていたと思います。でも私は一切、金正日と会ったことを口に出しませんでしたし、他の人たちはその後、金正日の車がすっと遠のいた後、その、中央の車が何台も高級車がだーっと通り過ぎましたから、そのときになってやっと気が付いて、「ああ、上の幹部たちがここへ来たんだ」という話をしていましたが、私はしらばっくれていました。

 

そういう、命に関わるような危険なことを、やらかしても、生き延びた私自身を、私は本当にしぶとい人間だと思っております。

 

今日は、これくらいにさせていただきます。ご視聴ありがとうございました。