北朝鮮の障害者

(YouTube北朝鮮の極端的恐怖 2021年9月4日)

皆様こんばんは。今、日本では連日、パラリンピックが華々しく繰り広げられて、世界中の皆さんがテレビの前で映像を楽しんでいますよね。私も毎日テレビの前で最後まで本当に楽しい時間を過ごさせていただいております。

 

障害者の皆様が本当に自由奔放に自分に合った方法でスポーツを楽しみ、自分も楽しみ、見る人たちにも楽しみを与え、そういう祭典を繰り広げて、メダルラッシュが起こっていますよね。本当に素晴らしいことだと思います。

 

それに比べて、北朝鮮の障害者たちはどのように過ごしているのでしょうか。私が一番最初に北朝鮮に行った時は、あまり障害者の事情を知りませんでした。でもその後だんだん住んでいるうちに事情がわかってきて、びっくり仰天もしたし、怒りも込み上げてきたし、でも私はそれをどうすることもできませんでした。

◾️ 平壌に住むことが許されないのが障害者

北朝鮮の障害者事情はどういう様子なんでしょうか。まず障害者がいる家庭は平壌には住むことができません。無条件に平壌から追い出されます。でも元々平壌に住んでいる人たちは絶対に平壌から追い出されたくないわけですよね。それはどうしてかと言うと、一歩平壌を出たら、北朝鮮の生活と平壌の生活は天国と地獄ほどに違うからです。

 

平壌市内はまず物質的な供給から違います。今は食料は苦しいとは思いますが、それでも他の地方とは全然違いますよね。昔は100%白米だとちょっと味気ないというので、90%白米に10%の雑穀。雑穀というのはメリケン粉であったり小豆であったり、大豆であったり、多様な雑穀を混ぜてくれました。だから平壌の人たちは本当に色々なものを不自由なく作って食べられる。また副食もそうでした。野菜も肉類も卵も水産物も、みんな十分なくらい供給されていました。一歩平壌から出ると、一切そういうことがありません。だから平壌市に住んでいる人たちはまず第一の目的は、平壌市から追い出されないことだったんですよね。

◾️ 平壌市民は障害児が生まれたらどうするのか?

そういう人たちにとって、もしも家族に障害者が生まれた場合、どうすると思いますか?まず地方に親戚がいたらそこに預けます。

 

ある人が平壌にお嫁に来ました。そして息子さんが生まれたのですが、生まれた時は普通の子供でした。ところが3歳くらいの時に高熱を出して引き付けを起こして、そういう病気になった後、後遺症として今で言う脳性麻痺の状態になりました。運動神経が全部ダメになってしまって、自分では伏せることもできませんし、起き上がることもできません。座らせようと思ったら大人が壁に寄りかからせて座らせないと、座れない。とっても可愛い男の子だったのですがそういう状態になってしまいました。

 

でもそこの本家では、その子供のために、平壌市から追い出されたくはないわけです。だから(地方の)私のお友達の家にその子を連れてきました。そしておばあちゃんがその子の面倒を見ることになって、ずっとその子の面倒を見ていました。もちろん養育費は平壌から送られてくるわけですよね。そういう事情で自分の家族と離れて、おばあちゃんに育てられなければなりませんでした。

◾️ 1号行事がある時には、障害者はどこかへ連れて行かれる

それからだんだん事情がわかってきたのは、平壌に身体障害者が住めないばかりではなく、1号行事というのがあります。私は金正恩の時代は知りませんが、金正日が地方に視察に来るとか、また私がいた時は外国の首相とか大統領とかが来たら地方に来ることがありました。

 

そういう時は沿道に出て、よく北朝鮮の映像に出るような、花束を持ってぴょんぴょん跳ねながら、歓迎のパレードをします。そういう予定が決まりますよね。そうしたらその年の障害者たちはみんなどこかに連れて行かれてしまいます。

 

私のお友達が東京から北朝鮮へ行った人だったのですが、彼女が身体障害者でした。私と同じ大学に行っていたのですが、日本にいる家族が北朝鮮にいっぱい送ってくださったおかげで大学に行っていました。

 

ところがその彼女が大学を卒業して、私が結婚して新居を構えた同じアパートに、彼女が1Kの家で住んでいました。本当に数少ないお友達だったのですが、私はよく彼女と一緒に私の家族が海水浴に行く時に一緒に行ったり、「何かあったらいらっしゃい」と言ってご馳走を一緒に食べたり、また彼女がすごくたくさんの本を持っていたので、私はその本を読むために彼女の家に行って本を借りてきたり、仲良くしておりました。

 

ところが1号行事が予定された後、彼女がいなくなってしまいました。何の前触れもなく。私はそれが1号行事と関係があるとは知らなかったのです。いなくなってしまったので、「えっ、何も悪いことをしてないんだけども、保衛部に捕まったんだろうか?どうなったんだろう?」と思っていました。

 

私のお友達の日本から来た帰国者の友達が何人もいましたから、「彼女を知らない?」と聞きましたら、みんな「知らない。見かけないね」と言っていました。

 

そして1号行事が終わって何ヶ月か経った後、彼女が、私たちの住んでいるところに戻ってきました。私が「どこに行ってたの?」と聞きましたら、「あなたは口が堅いから、誰にも言わないでよ。口止めされているから」という前置きのもとで言いました。「1号行事の時は身体障害者は市内にいられない。だからその時は、どこかの山奥に連れて行かれたんだ。今までそこで外部に出られない状態で、刑務所に入っていたわけではないけれども、外部への出入りを拘束された、そういう状況で暮らしていたんだ」と言いました。

 

本当に驚きました。「この国はそんなことをするんだ」と思いました。

◾️ 北朝鮮ではどういう訳か、障害者をあまり見かけなかった

私が住んでいた時には、日本で言う傷痍軍人、北朝鮮では「栄誉軍人」というのですが、朝鮮戦争の時に怪我をして障害者になられた方たちのための義足・義手なんかを作る工場がありました。

 

それは日本から行った私の知り合いのご主人が、日本でそういう会社に務めていらっしゃって、そういう技術があって、北朝鮮でそれを採用したわけです。それで義足・義手の会社をちゃんと作ったわけです。注文したら長いことかかっていましたが、そういう工場はありました。

 

しかし身体障害者がそういう風に扱われていたということは知りませんでした。実際、色々な障害者に会うことはありませんでした。パラリンピックを見ても腕のない方もいらっしゃいますし、足のない方も、短い方もいらっしゃいます。生まれつき手が短かったり足が短かったり、色々な障害の状況がありますよね。でも(北朝鮮では)そういう人たちを見かけることがありませんでした。

 

だからそういう人たちに対する関心が、自然と、あまりなかったと言いますか、「そういう人たちはどうしているんだろう」という考えを持ちませんでした。私の友達がそうやって連れて行かれて、また戻ってきたことによって、こういう扱いをされているんだと怒りがこみ上げてきました。

 

私の友達はお金のために戻ってきたわけです。その友達は、もしも日本から莫大なお金が送られて来なかったら、中に放り込まれたままだったと思うのですが、戻ってきました。

◾️ 赤ちゃんが障害を持っていた場合…。

それからもう一度北朝鮮の障害者に対する扱いを知ることになったのは、私の大学の同窓生が同じ職場で働いていた方がいらっしゃったのですが、その方が結婚して奥さんがいらっしゃいました。その奥さんが私の友達でした。

 

その奥さんにお子さんが生まれる時、私たちは職場で「今日、明日ぐらいには子供が生まれる予定で、(奥さんが)病院に入院する」と聞きましたので、朝出勤した時に「どうだったの?奥さんは無事に赤ちゃんを産んだの?」と聞いたら、すごく沈み込んでいるんです。「病院に行ったの?」と言ったら、「まだ行ってないけども連絡は受けた」と言うんですね。「どうしたの?」と言ったら「すごく障害者らしいんだ」と。

 

そうしたら職場の人たちが、「早く病院に行け!早く病院に行って始末してもらえ!」とすごいんですよね。「ひどい障害者なら親が育てきれないだろう!だから早く行け!」と。私はどうして早く行けと言っているのか分かりませんでした。でもその方は職場の幹部たちから背中を押されて病院に行きました。そして戻ってきて話したことを聞いて私はびっくりしました。

 

その方が病院について、奥さんに会ってみたら「赤ちゃんはずいぶんひどい障害者ですよ」と。それで生まれた時に先生から「どうしますか」と聞かれたそうです。「どうしますか」というのは、北朝鮮では赤ちゃんが生まれて24時間はその親に生命の与奪権があるそうです。だから母親がもしも「処分してください」と言ったらその時点で赤ちゃんは死ななければならないのです。結局、殺されてしまうんですよね。

◾️ 重い障害を持った子を、大切に育てた友人夫婦

でも私の友達は日本から行った人ですから、ひどい障害者だという話を聞かされても、それは想像もできなかったそうで、「まだ生きていますか?」と言ったら「生きてますよ」。「じゃあ、置いておいてください」そう言いました。でも父親は自分が職場から背中を押されて行きましたから、ちょっともじもじしていると、「もう24時間が過ぎていますから、親にも権利はありませんよ」と言われたそうです。

 

それでその後、そのお子さんを2人で育てたのですが、本当に重度の障害でした。まずは唇と鼻の境界線のない、喉の奥まで見えて、おっぱいが吸えない状態で、それで日本製のミルクを送ってもらって、水飲みで流し込んで飲ませました。

 

それだけでなく手足にも障害があって、歩くことはできましたが、ぎこちなくて、ピノキオが歩いてるみたいな感じがしました。また言語障害があってちゃんとしゃべれませんでした。日本から行った外科の博士がいらっしゃったので、2回、口の手術をしてくださって、なんとかごはんなど食べられるようになったのですが、喋ることはできず、私の友達夫婦はとても大事に育てていました。

 

また、日本から訪問団の人たちが行き来するようになって、私の友達夫婦の両方のご家族が日本から行ったり来たりしていらっしゃったのですが、日本のご家族が「この子を本当に大事にしなさいね、この子を大事にしないとあなたの家はダメになるよ」。そう言われたそうです。

 

もちろん親ですから、そう言われなくても大事にしますが、日本から来られた方たちが本当に優しい心でそう言ってくださったと、私の友達が涙を流しながら喜んでいました。

◾️ 見えてきた「障害者をあまり見かけない理由」

それでわかったのですが、結局私が腕のない人とか生まれつき手の短い人とか、足のない人とか、見たことがないのはそういうことに原因があったのです。

 

生まれてから24時間以内は親に生命の与奪権があるという、そういうとんでもない法律があって、ほとんどは生まれた途端に処理をされてしまっていたということです。今は北朝鮮でも、生まれる前にどういう状況か知ることができると思いますから、生まれる前に、処分するのかもしれませんが、私が子育てをしていた頃は、生まれてくるまではどういう子が生まれてくるか全然分かりませんでしたから、そういう決まりがあったのかもしれません。

 

何しろ私は北朝鮮で、生まれつきのそういう障害者というのが、目の悪い方と耳の悪い方、口がきけない方、そういう方々は地方にいましたが、そういう方でも平壌には住めません。外見上何も不自由ではなくても、平壌には障害者は住めないという、とてもひどい決まりのある国でした。

 

他の社会主義国家の事情は私には分かりませんが、北朝鮮の障害者の事情というのは本当にひどかったと思います。

◾️ 障害者で荒稼ぎする北朝鮮

でももっと腹が立つのは、最近になって知ったことなのですが、北朝鮮も障害者スポーツに参加していると言うんですよね。障害者たちを集めて、今、パラリンピックでやっているようなスポーツに参加させて、そこでお金を荒稼ぎしている。本人たちにお金は行きません。それはみんな北朝鮮の国家がぶんどってしまう、そういうことをやっている。

 

その親玉が誰かと言うと、昔、千葉で世界卓球選手権がありましたよね。その時に、南北統一チームの北朝鮮からの選手として、リ・ブンヒという選手が、障害者スポーツの責任者として、世界中を回っているそうです。本当に腹が立ちます。本当に差別するだけして、虐待するだけして、金になると知ったら途端に金を稼ぐための道具にする、あってはならない現象だと思います。

 

今日はこれくらいにさせていただきます。