【在日北送65周年七夕国際行事の報告】③
ボトナム通り〜新潟港中央埠頭(在日北送事業跡地訪問)
7月7日(日)、メディアシップ前で願いを込めた短冊を手に声明文を読み上げた後、私たちはそのまま「ボトナム通り」を歩きました。
1959年11月7日、北送事業の開始を1ヶ月後に控えて、朝鮮総連や北送船に乗る予定だった新潟在住者らが中心となり、この通りに306本の柳の木(朝鮮語でボトナム)を植えて、新潟県に寄贈しました。現在はその柳の木が80本程度まで減っています。
ボトナム通りの80本の柳の中には、市や県によって植え直された若くて細い柳や、1959年当時に植えられたままの太い柳もあります。
1960年に新潟港から14歳で北送船に乗った高知県出身のムン・ジュヒョンさんは、出航以来初めてこの地を訪れました。当時の太い柳だと知ると感慨深く眺め、写真を撮りました。
その他、ボトナム通りには、「北朝鮮は地上の楽園」という虚偽の宣伝を行った朝鮮総連の建物や、「ボトナム通り」の由来を説明するプレートなど、在日北送事業の跡地と呼べるものが存在します。それらのスポットの解説を受けながら、参加者たちは在日北送事業への理解を深めました。
在日北送事業は一般に、「帰還事業」とか「帰国事業」とも呼ばれます。北朝鮮による日本人拉致問題解決のための活動を行っている参加者の一人は、「帰国事業という名称なので、これまで本当に皆さん望んで帰られたのだと思っていたのですが、こうして話を聞いてみると、本当に全く違うのだと知って驚きました」と、ボトナム通りを歩きながら語っていました。
今回、当初の予定としては北送船が出航した新潟港中央埠頭の先端で短冊を手にスピーチをし、花を手向ける予定で申請し、使用許可も受けていたのですが、施設側でアクシデントがあり、中央埠頭のゲートの中には入ることができませんでした。(今年も12月14日の行事では必ず中央埠頭にて追慕式を行えるように申請を出します)
代わりにボトナム通りから中央埠頭に入るところにある、ボトナム通りの由来を説明するプレートの前で、在日北送事業の被害者数名がスピーチをし(川崎栄子代表、ムン・ジュヒョン氏、カン・ボンスン氏)、埠頭に向かって黙祷を捧げました。
埠頭から見える海の向こうには北朝鮮があり、そこには今も在日北送事業で渡ったきり取り残された方々、拉致で連れ去られて帰国できない方々がいます。
埠頭には入れませんでしたが、川崎栄子代表が個人的に海辺を歩いた際に、持参した花を皆さんの思いと共に海に投げ入れ、捧げることで、今回の行事の意味合いを全うすることができました。
コメントをお書きください